地球の変化を警告し、その地球の変化が私達の予言した近い将来のポールシフトに
向かっているのを見ている人にとって、ものごとはあまりにもゆっくりと進行してい
る。
大きく生活を変えた人、生活様式の質を落として安全な場所へ移動し、以前よりも興味も儲けも少ない仕事をしている人、これらの人々は、後悔する前にこのように変えるのではなく、後悔する後にこのように変えるのだから、概して、後悔しない。
インフレが氾濫している現在の市場で、仕事を得ることはますます困難となり、経済の低下は不動産を見切り売ることを困難にしているので、早い時期に移動した人は有利な立場にある。
早い時期に移動した人は、また、時期が迫ったときには、新しい共同体ではよそ者とは見られず、居住者、近隣者、友人と思ってもらえるだろう。自分の
手で初めて庭いじりをしたり、生活のための蓄財をした人は、失敗してもそれを訂正する時間があり、学びの時間がある。このように、早い時期に準備をした人は、待ち遠しくいらいらしているけれども、より堅実な足場にいる。
躊躇した人のほとんどは、穏やかな心地よい微風の吹く、ビーチに近い海岸沿いや、多様な娯楽で溢れるにぎやかな都会で、最新の生活様式を楽しんでいる人である。
私達に日付けを言って下さい、と彼らは嘆願する。少なくとも時間枠を言って下さいと。そうすれば、私は必要な時にだけ、これらのすべてを自制できると(彼らは言う)。
どんな場合でも、彼らが移動するのは、彼らのいる海岸線が波で洗われるという恐怖や、彼らのいる都市が崩壊するという恐怖により、彼らの快適さが奪われるときだけなので、彼らにとって待つことは問題ではない。
このように、娯楽や安楽に最後まで固執すると決めた人は、待つということで害されない。しかし、このような範疇の人の中に、再度熟慮して、この待ち時間を現実の準備にあてる人がいるかもしれないので、待つことは有利である。
彼らにとって、待つことは機会である。
本来自由に動ける人々に、現代社会が押しつけている多くの悲しい理由のために移動できない人には、二つの選択肢がある。そのどちらも待つことによって強められる。
生活保護を受けている母親、中身の希薄な仕事をし、市場取引の腕前がほとんどない父親、もし家が売却されれば住む場所のない多くの人々のために家を開放する拡大家族、これらの人にとっては、安全な場所へ移動することは、考えることのできる以上の痛みである。彼らは留まり、計画を立てる。彼らにとって、待つことは、ただ心の中でだけでも、リハーサルの機会である。
それは、安全のために駆けだす時が来たというのが、明らかな時にとるべき手段のリハーサルである。何を荷造すればよいか、
そして、どこへ行けばよいか。書庫の本が調べられ、注意深く品目が集められる。静かな議論では、彼らの境遇での怒りが、充実した計画に変わる。このようなことが、頻繁にされることで十分にリハーサルされる
観察している地球の変化を予言と関係づけていなかった人は、これを関連づけるための時間があった。気象の変化や予測できない磁気的なコアについての意味ありげな映画。
ポールシフトは地殻に記録されていて実際に起きたことであるという科学者による承認。正常と思われる状況を越える気象の報告。世界の政府の指導者達であると主張する人々が、このような地球の変化が向かっているところに、全く焦点を当てないこと。
このような会話をバスや喫茶店や書店で耳にした人は、古代の予言と現代の予言者を探究するようになる。このように、1年前の2003年5月15日には、今度のポールシフトについて詳しく知らなかった人々もまた、この長く待っている状況から恩恵を得た。
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以上 T.K.